〝学び直し〟で〝バージョン・アップ〟した自分を目指す愚かさ 「リカレント教育」の矛盾を突く【大竹稽】
「自主性」の大誤解を正す!
■「バージョン・アップした自分」を目指して幸せですか?
さて、リカレント教育に近いビジネスワードとして、リスキリングがあります。前者は、後者と比べると「長期間での教育」と「個人教育」を重視していることがわかります。そこで、リカレント教育を看板にしている教育機関のコンテンツをみてみましょう。
「長期間での教育」を謳いながらも、「デジタル分野」「語学」「簿記」などが大半。短期的にスキル獲得を目指すものばかり。「歴史学」「文学」「政治学」のように、長い時間かけて親しみ続けられるが、はたして役に立つかわからないジャンルは、リカレントにならないのです。
リカレントは「recurrent」と綴ります。「recurrent」は「再発・再現・周期的に起こる」を意味します。リカレント教育は「周期的」の意味が強いようですね。就労と学習を周期的に反復することなのです。
周期的に学び直すことで、一体私たちにどうなれと言うのでしょうね。「新しい自分」ですか? 「これまでとは違う自分」ですか? 「バージョン・アップした自分」ですか? そんな自分を求めることは、自らの愚かさを露呈することになります。
「就労と学習を周期的な反復」も、あまりにも単純化し過ぎていて、噴飯ものです。私に言わせれば、就労と学習は表裏一体。周期的に「就労」と「学習」が独立して訪れるものではないのです。
自主的な「学び」ができる人は、リカレント教育コンテンツなど用意されていなくても、自ら学んでいることでしょう。そんなお膳立てなど不要です。今や、探せば様々な優しく解きほぐされたテキストなど、いくらでも見つかるでしょう。
つまり、リカレント教育は、自主的になどなれない素朴過ぎる人たちに向けた、「体裁のいい自己責任」論なのです。学びたくない人を学ばせるための権威的なめくらましなのです。
敢えて主張しましょう。学びたくなければ学ばなければいい。自主性とは、常に「学びたくない」人たちも巻き込んだ「私たち」の自主性なのです。